私が弁護士になってから 第1話…平成28年2月号ニュースレター

      2017/11/27

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私が弁護士になってから 第1話

前回まで,「私が弁護士をめざした理由」を13回にわたって連載しました。

私が弁護士としてキャリアをはじめたのは,大阪の近畿中央法律事務所,という事務所でした。弁護士の業界では,経営をする弁護士のことを「ボス弁」と表現することが多いのですが,その「ボス弁」が2人いました。

うちの業界でいう「兄弁」にあたる,先輩弁護士が1名いました。私よりも5期先輩でした。うちの業界では司法研修所を修了した年度で先輩,後輩の区別をつけ,5期先輩ということは5年先輩ということになります。

私の同僚が1名いましたので,事務所全体では,弁護士5名でした。平成12年当時の大阪では,弁護士5名の事務所は,人数としては中堅どころといえました。当時は,圧倒的に,弁護士1名の事務所が多かったのです。

当時は,まだ,いわゆる「バブル崩壊」の余韻が色濃かったので,事務所の仕事には,

銀行から委任を受けた不動産競売申立事件が多くありました。

その中で,「きみの初仕事だ」

といって,ボス弁から渡されたのが,被告側(裁判で訴えられた側)の損害賠償請求事件でした。この事件は,バブル崩壊の残滓を色濃く反映した事件でした。金融不況で経営破綻した地方銀行である大阪のN銀行の役員が,経営破綻の責任を追及された事件でした。

請求金額は2億4千万円。この間まで時給700円のアルバイトをしていたような自分にはイメージすらできないような大金でした。

そして,原告(裁判で相手を訴えた側)は,当時,時の人であった中坊公平弁護士が率いる整理回収機構でした。

その日の夜,私は,中坊公平弁護士をテレビのニュースで見ました。

「この人が自分の相手方なのか…」

ニュースで見る中坊公平弁護士は,じつに堂々とした話ぶりで,自身満々に見えました。まさに,ミスター弁護士でした……(つづく)

新人の白河原弁護士を迎えました

当事務所は,このたび,新人である

白河原将(しらかわら しょう)弁護士

を勤務弁護士として迎えました。

白河原弁護士は,高校時代には柔道の猛者としてならし,質実剛健をモットーとする新進気鋭の若手弁護士です。

当事務所の新しい戦力として期待しています。

ご紹介を受けました白河原将です。みなさま,よろしく,ご指導,ご鞭撻のほど,お願いいたします。

今回,「選挙権が18歳で与えられることによる社会の変化」というテーマでお話をしたいと思います。

選挙権が18歳であたえられることによりすぐに大きな変化はありませんが,高等学校では選挙に関する教育が設けられますから,選挙権を持つことで,選挙や政治に関する問題に関心を持つ若者は増えると思います。

そして,今後,選挙権以外の制度について,適用年齢の変更の議論が,大きくなると考えます。

特に少年法の適用範囲の変更の議論は,大きくなると思います。

ただ,少年法の適用年齢の安易な変更には問題が大きいでしょう。

やはり,この年代の少年たちには,環境に流されて,周囲に巻き込まれて結果的に非行に走っている少年も多くいます。

そのため,きちんと処遇すれば,更生し,責任ある社会の一員として社会復帰する割合は,成人の犯罪者の場合と比較すると明らかに多いのです。少年の更生の道を狭くするべきではありません。

一方,とくに少年の凶悪犯罪に関しては被害者の心情を考慮する必要があることも確かです。

そういう立場で,少年法適用年齢の変更ではなく,刑罰の上限を変更するべきだという意見もあります。

さまざまな見解が語られるテーマですが,少年法については,少年に更生の道を開くことを中心に考えたいと思っています。

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