耳なし芳一……「弁護士のための」日本昔話
長門の国,と言いますから,いまの山口県で実務修習中の司法修習生がいました。
名前を芳一(ほういち)といいました。
芳一は、刑事裁判起案の読経が非常に上手でした。
はんにゃー はーらー みったー じー
本日は、窃盗罪被告人用の,お経のようです。
芳一のお経を楽しみに、今日も傍聴人が、わらわらと集まってきました。
窃取行為 不法領得
令状逮捕 十日勾留
検面調書 公判請求
冒頭陳述 有罪答弁
書証採用 情状証人
被害弁償 情状酌量
お経はクライマックスに達し、聴衆のみんなが刑裁起案の結論を注目しています。
芳一は、エイっと気合を入れて、一気に判決主文を読み上げました。
執行猶予~
おおお、と、聴衆がどよめきました。
今日も執行猶予判決です。
「ありがたや,ありがたや」
「仏さまは,一般庶民にも執行猶予判決をつけてくださる」
芳一が刑裁起案を読経すると、必ず執行猶予が出る、ということで、とても人気となりました。
ある夜、芳一の噂を聞きつけて、ある裁判所事務官がたずねてきました。
「芳一さん、さるやんごとなき,身分の高い裁判官の一人が、芳一のお経をご所望なのです。」
事務官が言います。
はっきりとは言いませんが,身分の高い方とは最高裁判所の裁判官のようです。最高裁判所の裁判官は、この世に15人しかいない、エリート中のエリートです。
芳一は、毎夜、事務官に呼ばれて、身分の高い方のお屋敷に、刑裁起案のお経をあげに外出することとなりました。
しばらくして、芳一の同期の修習生は、なにかがおかしいことに気がつきました。芳一は、毎日、とてもやつれていき、肌が土気色になるほどに生気を失っているのです。
「芳一を毎晩呼びにくる事務官は、あやしいぞ」
同期の修習生は、ある夜、事務官に呼び出された芳一のあとを,こっそりと,つけて行きました。
するとどうでしょう。芳一が呼ばれて行った先は、身分の高い裁判官の豪邸ではなく、みすぼらしい、お墓だったのです。
「いったい、誰の墓だ?」
と、近くによった修習生は、あっと息を飲みました。
それは、二回試験に敗れた平家側の司法修習生の墓だったのです。
「なんておそろしい」
この世に恨みを残しながら二回試験に敗れた平家の亡霊が、芳一を毎晩呼んでいたのです。
「大変だ、このままでは、芳一は二回試験に落ちてしまう」
修習生は、芳一に事情を話しました。そして、芳一の体に、ありがたいお経を書いて、亡霊から見えないようにすることにしました。
構成要件 正当防衛
緊急避難 因果関係
実行行為 原自行為
間接正犯 共同正犯
故意責任 無罪判決
芳一の体は、お経で埋め尽くされて、亡霊からは見えなくなりました。
次の夜、芳一を呼びに来た事務官の亡霊は、研修所のどこを探しても芳一がいないことに気が付きました。
「おのれ芳一、二回試験の勉強を始めおったか」
亡霊は悔しがりましたが、ふと、空中に、司法修習生のバッジだけが浮かんでいることに気が付きました。
その修習生バッジには、こう書かれていました。
「懲役三年 仮執行宣言」
亡霊は大笑いしました。
「ふははは、刑事判決の主文に仮執行宣言をつけるバカが、必ずいるのよな。これでは二回試験は一発アウトじゃ」
ああ、なんということでしょう。
刑裁起案が間違っていた部分は、正しいお経にならないので,亡霊から隠せなかったのです。
「芳一が見えないから、修習生バッジだけをいただいていくことにしよう」
亡霊は、芳一の修習生バッジを無理やり奪っていきました。
翌朝、芳一の様子を見に来た同期の修習生は、修習生バッジを失った芳一の姿を見ることになりました。
「しまった……私が、起案を間違えなければ、芳一は、バッジを失わずにすんだのに…」
同期の修習生は悔やみましたが、もはやバッジは返ってきません。
もっとも,その後,芳一は、司法研修所の事務局に、修習生バッジの紛失を届け出して、手数料300円を負担して,修習生バッジの再交付を受けることができました。
その後,芳一は、平家の亡霊に悩まされることはなくなり,弁護士として成功して裕福に暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。