幸せの青い鳥……弁護士のための日本昔話
あるところに,まずしい司法修習生の兄と妹がいました。
兄の名前はチルチル,妹の名前は,ミチルといいました。
チルチルとミチルは,いずれも,法律事務所への就職活動に,大変に苦労していました。
履歴書を送っても,事務所訪問への返事が来ない日々が続きました。
他の同期の修習生たちは,有名な法律事務所から内定をもらい、二回試験までの修習を遊んで暮らしていました。
そんなある日,チルチルとミチルは,いずみ寮の廊下で
「幸せの青い鳥を見つければ、幸せになれる」
という噂話を聞きました。
「幸せの青い鳥を見つければ,就職の内定がもらえるのかなあ…」
チルチルは,自分が幸せになった姿を想像しました。
「テレビドラマに出てくるような,おしゃれな法律事務所で働けるかなあ」
ミチルは,想像して,うっとりとしてしまいました。
「お兄ちゃん!」
「ミチル!」
二人は,ほぼ同時に,青い鳥を探しに行くことを決意しました。
思い出の国
二人が初めて訪れたのは「思い出の国」でした。
思い出の中で幸せだった時間のなかで,幸せの青い鳥を発見したという話を聞いたのです。
「おや,ミチルではないかい」
なつかしい声を聞きました。
「お,おばあちゃん!」
ミチルが驚いたのも,無理はありません。
ミチルのおばあちゃんは,ミチルが10歳のときに亡くなっていたのです。もう15年も前のことです。
「おじいちゃんも!」
チルチルも,昔に亡くなっていたはずの,おじいちゃんの姿を発見して,とても喜びました。
思い出の中の,おじいちゃんとおばあちゃんは,いつも,チルチル,ミチルの話をよく聞いてくれて,優しくしてくれていました。
「もう会えないと思っていたのに」
ミチルは,おばあちゃんを抱きしめます。
「生きている者が思い出してくれれば、いつでも会えますよ」
おばあちゃんは,ミチルの頭をなでて,にっこりと微笑むのでした。
「あっ,あの木の枝に青い鳥が」
チルチル,ミチルは,さっそく青い鳥を鳥網で捕獲して、鳥かごに入れました。
早くも目的達成です。
ミチルは,「思い出の国」で残された時間を,おじいちゃん,おばあちゃんと,お話をして過ごすことにしました。
「おやまあ、ミチルは法務博士になって、さらに、弁護士さんになるのかい。おまえは昔から頭の良い子だったからねえ」
おばあちゃんは,チルチル,ミチルが,司法試験に合格したということを,とても喜んでくれました。
ミチルが,そうは言っても,今は新人弁護士の就職活動が大変で,固定給をもらえないノキ弁という雇用形態で貧困にあえいでいる弁護士が大勢いるということを話しますと,
「おやまあ、私たちの時代には、博士や弁護士といえば大出世だったのにねえ」
「昔は、弁護士になれば一生安泰だったのにねえ…」
「昔の弁護士は,広告宣伝しなくても依頼者の方から腕前を聞きつけて依頼にきてくれていたのにねえ…」
と,おばあちゃんは,なぐさめてくれます。
おばあちゃんは,どんな不平不満を言っても,ニコニコして聞いてくれます。
ミチルは,普段たまっていたウップンで、何時間でも話し続けたのでした。
ボーン,ボーン,ボーン
大時計が夜12時の鐘を打つ音が聞こえました。
「ああ,私たちは,ここには夜12時までしかいられないのだった」
あたりに,急速に濃い霧がわいてきました。
やがて,全ては,真っ白な霧の向こうに消えていきました。
現実の世界に帰ってきました。
「チルチル…」
「お兄ちゃん…」
「思い出の国」で捕まえた青い鳥は,鳥かごの中で,老いて死んでいました。
その横顔は安らかでした。
二人は,なんとなく,わかっていました。
「思い出の国」は、いいところでした。
なつかしくて、二人を心あたたかく迎えてくれました。
でも,昔の思い出の中には、未来の世界での幸せは存在しないようでした。
夜の国
二人が次におとずれたのは「夜の国」でした。
ここは夜闇の恐怖に支配された世界でした。
この世界は,ずっと真っ暗で,手元のランプが照らす明かりが照らす範囲だけしか見えませんでした。
「もうし,管理人さん,私たちは幸せの青い鳥を探しているのです。」
夜の国の世界の管理人を訪問しました。
「夜の国に,幸せがあるとは思えませんが…」
管理人は,二人の目的が信じられない,と首をかしげていました。
「夜の国では,みんな恐怖に支配されているので、自分の部屋から外に出ようとはしません。話を聞きたければ,部屋の鍵は貸してあげるから自分で扉を開けなさい。」
管理人は,ミチルに,鍵の束を渡しました。
チルチル,ミチル,管理人の三人は,ランプの明かりをたよりに,多く並んだ部屋を順番に見ていきました。それぞれの部屋には表札がかかっていました。
「二回試験」
という表札がかかった部屋がありました。
「ひいい,これは怖い」
チルチルは,ぶるぶると震えました。
「でも,あたしたちも,今年には二回試験を受けなければならないし」
と,ミチルは,勇敢にも「二回試験」の部屋の鍵穴に鍵をさして,部屋の扉を開け放ちました。
中から、人の声のようなものが聞こえます。
「滅びし平家の恨みを、忘れたわけではあるまいな~」
「ひいい、あれは、二回試験の戦いに敗れた平家の亡霊だ」
ミチルは、どこかで彼らに会ったような気がしましたが、あわてて、扉を閉じて逃げ出しました。
「懲戒処分」
という表札のかかった部屋がありました。
こわいながらも,実務修習で言葉だけは聞いたことがあり,興味がありましたので,扉を開けました。
部屋の中には,がっくりとうなだれている若手弁護士がいました。
「彼らは、懲戒処分のひとつ、戒告処分を受けた弁護士です。」
管理人が説明してくれました。
「懲戒処分を受けると、日弁連が発行している「自由と正義」の巻末に、名前をさらされることになります。
同期や教官に懲戒処分を知られてしまいますから、かなり屈辱です。」
「なんて恐ろしい…」
チルチル、ミチルは、恐怖しました。
「でも、戒告を受けてショックを受ける弁護士は、まだ希望があります。恥を知っているから。本当に怖いのは、むしろ、あちらの弁護士です。」
ふと見ると、ぼーっと椅子に座ったまま、なにも仕事をしていない弁護士がいました。
「かれらは過去に業務停止を受けたので、まともな顧客はつきません。」
「かれらを相手にするのは、弁護士の名前を使わせ、月に何十万かの名義使用料を払うような、事件屋です。」
管理人が説明してくれました。
「事件屋と提携…」
「そこまで行ってしまうと、もはや弁護士倫理の善悪の判断がつかなくなります。彼も、若いころには、人権派で知られた弁護士であったのに、残念です…」
管理人の説明に,チルチル,ミチルは,ああなってはお終いだと思い,背筋が凍る思いでした。
夜の国の部屋には,そのほか、
「戦争」「病気」「津波」「倒産」
など、さまざまな怖ろしいものの表札が並んでいます。どうにも,幸せの青い鳥からは遠そうです。
「スクール」
という表札がありました。ミチルは,「スクール」なら希望に満ちた若い元気な子がいそうだと思い,独断で扉の鍵穴に鍵をさしこんでカチャッと扉を開け放ちました。
「ちょっと待った、お二人さん!その部屋はヤバい,ヤバすぎる!」
少し離れた場所にいた管理人が大声で静止します。
チルチルは,なにか悪い予感がして,手元のランプを高く上げてみました。どうも,さきほど「スクール」と読んだのは,表札の下半分だけだったようです。
「下位ロースクール」
表札の全てを見た瞬間,チルチルは,悪い予感が当たったことに気がつきました。部屋の奥で,バサバサバサという,まがまがしい大きな音がして,なにかの大群が飛び出してきました。
「うわああっ……あれ?」
よく見ると飛び出してきたのは,青い鳥の大群でした。目の前は,青い鳥でいっぱいになりました。
「うわあ、取り放題やあ」
ミチルは,小躍りします。
青い鳥は,口々に,希望に満ちた言葉を口にしていきます。
「うちのロースクールから五年ぶりの司法試験合格者だ。きみは天才だ!」
「うちのロースクールは高度な専門教育をおこなっているから、旧司法試験の合格者になど、圧勝できるぞ!」
「法務博士の肩書は、社会で圧倒的に評価されるのだ。末は博士か大臣か、と言うだろう!」
青い鳥の大群は、とても自信に満ちていました。
「なんだ、みんな、幸せそうだよ」
ミチルは、捕まえた青い鳥を、せっせと鳥かごに入れていきます。
「……」
チルチルは、そういうミチルを無表情で見ていました。
大時計が鐘を鳴らして、夜明けの時刻を知らせました。
「夜の国では、夜明けまでが期限だった」
あたりは急速に霧に覆われ始めました。
やがて,夜の国は,白い霧の向こうに消えていきました。
現実世界に戻ってきました。
ミチルは、青い鳥でいっぱいの鳥かごを両手でもって、あはは、と上機嫌でした。
「希望がないと言われる夜の国でも、幸せは、ほんとはいっぱいあったんだね。」
「……」
チルチルは,ずっと無表情で無言でした。
「あれ?……」
ミチルは、鳥かごが急に軽くなったように思いました。
現実世界の太陽の下で見てみると,あれほど大量に捕まえたと思った青い鳥が、カゴの中に全くいませんでした。
「青い鳥が消えた……」
「ミチル、あの夜の国の青い鳥は本物ではなかったんだ」
チルチルは、いつになく厳しい表情でした。
「ミチル…うちのロースクールは高度な専門教育をおこなっているから、旧司法試験の合格者になど、圧勝できるぞ!という言葉,どこかで聞いた記憶がないか?」
「そう言えば、あたしのロースクールでも、教授が、そんなことを言っていたような…」
ミチルは,ふと,自分のロースクール時代を思い出しました。
教授がそういう強気の発言をしていたにもかかわらず、実際には,ミチルが入学した「ダメダメ・ロースクール」からは,そもそも司法試験に,ほとんど合格しなかったのでした。
「……」
「お兄ちゃん……あたしたちが通ったロースクールって、夜の国だったのかな…」
その夜は、チルチル、ミチルは、お互いに,我が身の不幸を思い,涙にくれたのでした。
未来の世界
その次に、チルチル、ミチルが訪れたのは「未来の世界」でした。
雰囲気がとても明るいところでした。
見渡すかぎり、赤ん坊ばかりでした。
ざっと目にしただけでも、3万人くらいはいるでしょうか。
ミチルは,こんなに赤ん坊がそろっている風景を生まれて初めて見ました。
「この世界の赤ん坊は、これから生まれてくる子どもたちなのです。」
「未来の世界」の管理人が言います。
姿は赤ん坊なのに、医学書を熟読している赤ん坊、顕微鏡をのぞき込んでいる赤ん坊、とても知的な活動をしている赤ん坊が多いようでした。
「あの子は,30年後に世界的に有名な宇宙物理学の発見をすることになります」
管理人が指さした赤ん坊は,まことに真剣に科学の本を読んでいました。
「もう決まっているのですか?」
ミチルが,たずねます。
「ええ,もちろん,それが,この子の運命ですから。」
管理人は,当然だ,と言わんばかりにうなずきます。
「人間は,みんな、神様から,運命や使命をさずかって,この世に生まれてくるのですから。」
そうなのか,と,ミチルは思いました。
「ねえ,お姉ちゃんは,日本の弁護士さんなの?」
赤ん坊が,ハイハイして,近寄ってきました。
「うーん,弁護士のタマゴ,だけどね。今年の冬に弁護士になるの」
就職先はまだ決まっていないけど…ということは言いませんでした。
「すごいねー,うらやましー,がんばっているんだねー」
赤ん坊は,満面の笑みで,ミチルを褒めたたえるのでした。
「そうね…うん,まあ,がんばってはいる,かな」
たしかに自分なりにはがんばった,と思う。過酷なロースクールの勉強,5日がかりの過酷な司法試験,環境がめまぐるしく変わる司法修習,若くてタフでなければ,とうてい耐えられない境遇だわ。就職先は見つからないけど,これ以上,あたしには,なにができたというのか。
「ぼくは生物学の研究者になるのが運命なんだ」
と,赤ん坊は,さきほど真剣にのぞき込んでいた顕微鏡を見せます。
その顕微鏡は,とてもキレイな青色をしていました。
見ているだけで心がいやされるような,透明な青色でした。
「もしかして…いや,でも…」
と,ミチルが思ったとき,
「そのとおりです,ミチルさん。幸せの青い鳥は,鳥だとは限らないのです」
管理人が助言してくれました。
「運命が顕微鏡と関係が深いならば,それは幸せの青い顕微鏡であるかもしれません」
「そうなのですか?鳥の姿をしていると思い込んでいました。」
ミチルは,目をぱちくりさせています。事態を飲み込むのには,少し時間がかかるかもしれません。
「神の愛は広大で無限です。鳥の姿にこだわるものでは,全くないのです」
管理人さんは言いました。
「日本というのは,いい国だってねー」
別の赤ん坊が,ハイハイして近よってきました。
「日本には,戦争もないし,テロもないんでしょ」
「みんな病院で出産するから,幼児が死なないんだってねー」
ずいぶんとくわしいな,と思ったら,この子は,さきほど医学書を熟読していた赤ん坊でした。
「まあ,たしかに戦争もテロもないし、未熟児でも幼児は死なないけど…」
そんなこと当たり前でしょ,そこを褒めますか、とミチルは苦笑いします。
「いいなあ。ぼくは,生まれて三日で死ぬんだよー」
「え?」
と,ミチルは,虚をつかれた思いでした。
「不衛生な国に生まれると,幼児のうちに死ぬ子が多いんだよねー」
「そんな!生まれて三日とかで死ぬなんて、なんのために生まれてくるわけ?」
ミチルは、つい,食ってかかってしまいました。
「お姉ちゃん,お姉ちゃん,運命は神様がお決めになったことなのだから,しょうがないじゃないのー」
赤ん坊は,苦笑して答えます。
「良くても悪くても、ぼくたちは、神様から運命や使命をさずかって生まれてくるわけだからー」
と,別の赤ん坊が会話に入ってきます。
「お姉ちゃんは,どんな使命をさずかっているのかな?神様から」
「……わからない」
と,ミチルは,小さくつぶやきました。
「お姉ちゃんは,今は使命を忘れているんだね」
「でも,きっと,また見つけ出すよ。お姉ちゃんは賢いから」
赤ん坊は,満面の笑みでミチルを見返すのでした。
その顔が,白く霞んで見えてきました。
あたりが濃い霧に覆われ始めました。
大時計が、ボーン、ボーン、と時刻を告げます。
「もう帰らなければならないの?もう少しで,なにか見つけられそうなのに…」
やがて、全ては真っ白となりました。
現実の世界
「はっ!」
ミチルは,いずみ寮の自分の部屋で目が覚めました。
「結局、本物の青い鳥は見つからなかった…」
それでも、不思議と充実感がありました。
すごく長い旅をしてきたような気がしました。
おばあちゃんと会って話をきいてもらったこと
夜の国で恐ろしい冒険したこと
未来の世界で,人間が運命をもって生まれて来ることを知ったこと…
ミチルは,この旅で,いろんなことを学んだ気になりました。
昨日までとは,目に見える世界がなにか違っているような気がします。
「そうだね,運命には,最初から出会っていたんだね」
その後,チルチルとミチルは,人格者の弁護士の事務所に就職が決まり,幸せに暮らしましたとさ。
めでたし,めでたし。