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事務所選びの要点

自分に合う事務所?

事務所選びに成功するためには、「自分に合う事務所」を明確にする必要がある。

ここで「自分に合う」とはなにか?
という問題が意識されざるをえない。

そもそも「自分」とはなんであろうか?

「えー、自分は、市内の出身で、年齢は27歳、男性。身長は173センチメートル」
………
それは、自分の属性にすぎない。
すなわち、自分が所属している社会集団を述べたに過ぎず、「自分」をまったく表現していない。

「自分は弁護士志望で、好きな作家は村上春樹、宮部みゆき、です。小学校のときにはソフトボール部で、中学・高校ではバスケットボールをしていました。大学ではテニスのサークルに入ってテニスをしていました。」
少し、「自分」が開示されてきたようだ。

どんな本を読むか?は、自分の選択の結果である。
ノンフィクション小説を読むのか、ファンタジー小説を読むのか、ハードボイルド小説を読むのか、そこには自分の選択があらわれている。

では、人間は、なにをもとにして選択をするのか?

自分がなにかを選択する背景には、自分の価値観がある。

自分は、なぜ、メーカーに就職せずに弁護士になろうと思ったのか?
アミダクジで決めたわけではあるまい。
そのときには自分は、メーカーの会社員になるより、弁護士になることに、高い価値を見いだしたのである。

では、なぜ、「弁護士になることに高い価値を見いだした」のであろうか。
「なぜか?……と、そう、正面きってたずねられると、よくわからない」
ということが多いであろう。
というのは、具体的な選択、たとえば、メーカーを志望するか、弁護士を志望するか、という選択については、まず感覚的に、
こっち!
という選択ができるだろうが、なぜそういう選択をしたかという理由づけをするためには、抽象的な思考が必要となってくるからだ。

よく考えると、
「うーん、自分は、昔から、集団で行動するよりは、一人でパパッと行動する方が好みだった。その意味では、自分の意見や識見が尊重されて、個人で活動できる弁護士という仕事は、自分に向いているんでしょう。
また、弁護士は、若くても最初から弁護士だから、若い人にチャンスが多そうだ。自分は、けっこう、せっかちな人間だから、会社に入って苦節数十年で出世する人間ではない」
というようなところまでいけつけたかもしれない。

こういう、抽象的な「自分」まで語れるようになれば、それは、個々の「選択」を超えて、自分の個々の選択の背景にある「価値観」にまで迫ることができた、ということであろう。

人生は不断の選択の積み重ねであるが、自分の選択は全て価値観の影響を受けている。したがって、
自分≒価値観
であるともいえる。

価値観とは、なにを大事と考え、なにを大事ではないと考えるのか、という、自分にとっての価値のランキングのことである。

価値観は人によって異なる。また、同じ人間であっても、時期によって異なる。

子供のときの価値観のトップは「いかに好みの食べ物を食べるか」「いかに長時間寝るか」であったりする。
長じると、「いかに親の目を盗んでゲームをするか」
さらに成長すると「いかに異性にもてるか?」
成長にしたがって、そのような、「新しい価値観」が発生し、序列の上位を占めるようになってくる。
社会に出るころには、さまざまな価値観が出尽くして、一応の「自分にとって一番大事なこと」が固まってくる。

安定した生活を第一に考えるか?
友達関係を第一に考えるか?
仕事をバリバリとこなして成長することを第一に考えるか?
海外留学することを優先するか?

自分にとって、「一番大事なこと」は、人間の成長にしたがって、分化してくるのである。

では、「自分にとっての一番大事なこと」を、どのように意識したらよいのか?
現代社会では、あまりに外部からの情報が多く、「自分」と向き合うことがむずかしくなっている。
自分の意識の多くは、テレビ、新聞、ネット上の情報、など、外部からの情報による影響の結果であって、「自分」の内部の価値観ではないかもしれない。

テレビでは、デイ・トレーディングで資産100万円を10億円にした人がもてはやされている。これをみると、「ちまちま働いて預金してもたかがしれている。

よし、自分もデイ・トレーディングで、一攫千金」と思うだろうか?

しかし、それは、マスコミの影響を受けて、そう思わされていないだろうか?

日弁連は弁護士過疎の問題解消のため、法テラス制度を軸として、弁護士が少ない地方に、弁護士を配置している。
たしかに、弁護士過疎の解消は社会のために役に立つ活動である。
正しいことだ。
でも、あなたは弁護士過疎の解消を、本当に「自分にとっての大事なこと」だと考えているか?

自分の価値観がなにか?という問いに答えることは難しいが、はっきりしていることは、
自分の価値観が自分の外部にあるはずはない、ということだ。

 

自分の価値観は自分の価値観が新聞や書籍に書いてあるはずがない。 、自分に聞くしかない。

「自分の価値観」を直接考えるのは難しいかもしれない。
ここで、「個人の価値観」を考えるうえで、参考になるのが、「国の価値観」の判断手法だと思われる。
「あの国とは、どういう国なのか?なにを大事と考える国なのか?」
たとえば、アメリカ合衆国とは「なんなのか?」を知るときに、一般的にとられる手法は、「アメリカ合衆国の歴史を知ること」である。
アメリカ合衆国が過去に選択してきた歴史を勉強すれば、アメリカ合衆国のもつ「本当の価値観」を知ることができる。
すなわち、アメリカ合衆国の現在がわかる、ということである。
そして、アメリカ合衆国の現在がわかれば、アメリカ合衆国の未来が、ある程度は予測されることになる。
未来は、現在の延長上にあるからだ。
このように、過去の歴史を知ることは、現在を理解することであり、現在を理解することは未来を知ることである。
すなわち、過去を学ぶことは未来を知ることである。
これが歴史を学ぶ意義だ。

個人の場合も同じことがいえる。個人の過去は、実際におこなった選択が積み重なってできあがったものである。
どのような選択を自分がおこなってきたか、自分がどのようなことを他のことよりも「大事だ」と考えていたか、を知ることで、今まで意識していなかったかもしれない「自分の価値観」が浮かび上がってくるのではないだろうか。

自分の過去を象徴する質問が
「あなたが今まで生きてきた中で、大事にしてきたことは何ですか?」
自分の現在を象徴する質問が
「あなたが、法律家となって仕事をするうえで、実現したいことは何ですか?」
自分の未来を象徴する質問が
「あなたが、自分が死ぬまでに実現したいことは何ですか?(人生の夢は何ですか?)

過去の上に現在があり、現在の上に未来がある。
この点では、国も個人も同じである。

以上をまとめると、

  1. 自分≒価値観
  2. 自分の過去を振り返ることで自分の価値観を意識できる。
  3. 自分の価値観を知ることで自分の未来を予測できる。